宮司と神社の略歴

  1. HOME
  2. 照天神社 苦難の道のり

照天神社 苦難の道のり

照天神社では、神社界の不条理、冷酷、無慈悲、苦境を乗り越えた宮司の経験を生かし、皆様のお役に立てればと思っております。

誹謗中傷、妨害困難を乗り越えた、照天神社の奇跡的な発展や存在・実績は、パワースポットの実在です。どうぞ気軽に参拝、ご相談くださいませ。

 

苦難、悲しみ、そして人生の向上を目指す人々の心の拠り所として、照天神社はまだまだ発展を目指しております。

昭和 58年

国学院大学文学部神道学科卒業

神道学研究室にて雅楽、祭式研鑽、千度祓い奉修。高等神職明階取得。

神奈川県内旧内務省神社局国幣中社奉職。
奉職後、日々、大量飲酒の強要、酪酎暴力、嫌がらせ、階級闘争、信仰の欠片もない現場に直面。

参拝者に対する親切な態度を批判され左遷、「この神社はそういう所ではない」と罵声を浴びる。結婚式場の雑務係になる。

午前7時出社、午前3時退社、宿直24時間勤務を月に7回。午前5時から一人で500坪の清掃、たばこの販売機の管理、コーヒーショップの店員、経理主任、人事主任、総務主任など、辞めさせるために重責を押し付けられる。インフルエンザ高熱でも、どやしつけられ休ませない。

日々、上司より「お前は幼稚園生以下、ハエ以下だ」と罵声を浴びせられ一年、ついに力尽きて退社を申し出るが、辞めさせない。いびり倒す姿勢が見えた。ついに力尽きて退社を許可される。退社時に宮司に呼び出され「ここであったことは誰にも話すな」と恫喝される。

昭和63年

神奈川県内郷社に奉職

恐るべき長時間勤務、公休が月に4日、有給なし、正月は不眠不休、恐るべき薄給。経済的、精神的に困窮を極め、健康を害して鬱状態にて退社。
退社時に宮司に「あんたみたいな馬鹿は何をやっても失敗する」と罵声を浴びせられる。

平成2年

活動開始

当家所有の山の上の誰も来ない一坪の神社と、麓の集落の祠から活動を開始。

平成7年

儀式殿を建立

参拝者の利便性を考慮して、街中に10坪の儀式殿を建立。
大晦日に初めて参拝者が多数来るようになる。

この頃より、退職した神社、近隣神社、神社界より恫喝電話が頻繁にかかってくるようになる。
「お辞め下さい、私の所得が減ります」を毎日連発。
また、「精神異常者、唖者」など、市内全域に悪評を流布される。
この頃、身体の危険を感じ、ボクシング・ウェイトトレーニング・走り込み・護身・身体強化を始める。

平成13年

敷地を拡張

不動産業者の勧めで、奥宮麓の集落祠近隣に83坪の土地を購入、社務所、および儀式殿を建立する。以後、神社は活況を呈する。マスコミに注目され、テレビ出演、雑誌の取材を多数受ける。

平成25年

山頂奥宮を40坪に拡張

本殿を改築竣工、神社界より嫌がらせ激化。

この頃、近隣神社の宮司がパンティ泥棒で逮捕。宮司が殺人事件で逮捕。 宮司が不法投棄で逮捕。神社界の逮捕が相次ぎ、嫌がらせが少し治まる。

平成29年

6月28日 神社活動の停止を告げられる

突然、役所により神社活動の停止を告げられる。 意味不明に困惑しながら、行政書士、顧問弁護士、各議員の皆様に協力をいただき調査。

調査により、当該地が調整区域調整宅地に付き、神社、事務所など建築が不可であること が判明。不動産業者による重要事項説明もなく、改ざん書類が役所に出されていた。

「この件に関して、複数の新聞や雑誌の取材を受け掲載される」
このままでは参拝者の心の拠り所の消失、神社活動の消滅、神社の消滅、社務所および住居まで失うことになる危機に瀕する。

失意の中、泰然と熟考し、新社殿地購入、移転造営を決断。
前社殿の負債も残る中、大社殿建立と新社殿土地を選定する未曾有の壁に挑んだ。

日々、午前2時起床、飲まず食わず、就業前に土地の資料を自ら集め、自らの足で探し、書類を作る。
冷酷な世間、無慈悲な世間の壁に挑むこと4ヵ月、ついに奇跡的に山頂奥宮の麓、清流の畔、緑深き森の中に土地を選定。

平成29年

10月 土地契約、設計に着手

発覚から僅か4か月。

平成30年

10月 新社殿を竣工

200坪の土地に社殿、社務所、参拝者休憩所、住居を無事に竣工、現在に至る。
新社殿は国道沿い、神社前にバス停があり、圏央道インターから8分と、以前より利便性が大幅に向上。新年には多くの参拝者が来訪、好評を得る。

令和元年

7月

1.8キロ先の神社の宮司より”新興宗教のため危険”と流言を流布され、顧問弁護士により対応

→ 宮司の紹介